民主党政権の総括のまとめ

民主党公開大反省会

「会場内からは反省しているようには見えないとの声が上がった。」

 

ja.wikipedia.org

 

共産党による2013年の参院選の総括

www.jcp.or.jp

 

自民党による民主党政権の検証

根源的問題として、「国家運営能力の欠如」、「誤った政治主導」、「政策決定一元化の失敗」、「発言の軽さ」を指摘している。民主党政権を批判的に検討する材料の資料集として便利なものとなっている。

― 迷走の3年を総括 ―
平成24年8月
参議院自由民主党

https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/067_01.pdf

 

いま、民主党政権を振り返る(PHP総研) ―この3年で成したこと、直面する課題とは何か―

2012年10月。

https://thinktank.php.co.jp/wp-content/uploads/2016/04/kaisetsu_20121019.pdf

 

感染者数シミュレーションはオリンピックの有無のシナリオについてやるべき

感染者数のシミュレーションを示していたが、そこで検討されていたシナリオは、国民に対する人流抑制の強さ、ワクチン接種のスピード、二重変異株の有無などについてであった。オリンピック開催の有無でどのような違いが出るのかやって見せるべきだと思う。

www.nhk.jp

演説妨害と言論の自由

演説している政治家の近くに行って大声を上げることにより演説を妨害する行為は警察によって規制されるべきだろうか?この話題について意見が割れているようである。

 

二つの立場の人が対話していると想定して、合意に至るかどうかをシミュレーションしてみたい。

 

A「演説している政治家の周りで学生が大声で抗議しているからといって、警察が取り囲むなんて、市民の言論の自由が侵害されている!」

B「演説の妨害は民主主義への挑戦ではないのか?君たちがいつも言う所の、まさにナチスの手口なんだよ。」

A「でも、市民が政治家に異議申立てする機会を警察が奪っていいの?国家による市民の自由の規制ではないか。」

B「他の市民が政治家の演説を聞くことを妨害するのはよいことだと思うのか?官憲が演説の妨害を取り締まるのは、官憲が演説自体を取り締まることとは違うよね?」

 

あまりにもかみ合っていないので、読者の皆さんは、彼らがお互いに合意できるようには思えないかもしれないが、ここではまず、第三者に入ってもらって論点を整理することにしてみよう。

 

C「まあまあ2人とも。二人が合意できる論点から話を始めてみよう。以下のルールを守ってほしい。

  • できるだけ論点から外れるような相手の感情を害する言葉をつかわない。
  • お互いの合意点を探し出すことに協力する。

 

たとえば以下の文には賛成できるかな?」

 

演説の妨害はよくない。

 

A「うーん。市民による抗議は妨害とはいえないのでは?私も、演者や聴衆に暴力や威嚇を伴うような妨害活動は賛成しない。」

B「「市民」のふりをして集団で計画的に特定の政党の言論活動を妨害しに来ることは、好ましくないことではないか?例えばナチスがやっていたように。あるいは、与党などの多数派による少数派への演説妨害はAにとっても好ましいとは思えないよね?」

C「ここで合意できるところを特定しておこう。どうだろうか。」

演者や聴衆に暴力や威嚇を伴うような演説の妨害活動はよくない。

A, B「合意できる。」

C「まだ、取り締まるべきかどうかの判断については、踏み込んでいない。しばらくよくない妨害活動について合意点を探していこう。ここで一旦確認しておきたいのだが、演者が政府、与党であっても野党、市民団体であっても、価値判断には影響ないですね?」

A「いや・・・政府・与党への批判の方がより許容されるべきではないか?少数派の意見は聞き入れられる機会がない訳だから。「妨害」というレッテルを張らないでもらいたい。」

B「演説妨害活動ではなく、演説によって自分の意見を伝えたらよいのでは?」

A「市民には、反対している、ということを伝える権利がある。」

B「演説を聞きたい、ほかの市民の権利も尊重してもらいたいね。」

C「Aさんは、反対しているということを受け止めてもらえるなら、他人の演説中の抗議はやめるべきだと思う?」

A「反対の声を上げている人を尊重する態度があるならば、そもそも演説中に抗議されないと思う。」

B「Aは、演説しているひとの態度によって、演説中の抗議が許されるかどうか決まるというの?」

 

C「ちょっと論点が増えてきたね。Aとしては、自分たちの側の活動を、演説妨害と呼ばれるよりは抗議だといいたいのだね。」

A「そうだ。」

C「ならば、ここでいったん、演説中に継続的に声を上げる行為を「抗議」と呼ぶことにしよう。」

B「「抗議」と名付けようとも、演説を妨害する意図があることには変わりないんじゃないかな。自分たちが尊重されていないと感じるからこそ、演者への「抗議」活動を継続的にしているのではないか?」

C「ふむ。A、Bに聞いてみたい質問をかいてみた。読んでみてほしい。」

演者への「抗議」を集団で継続的に行うことは、市民の権利として尊重されるべきだと思うか?「抗議」の対象が与党であろうが野党であろうが、だれであっても?

 

演者への集団での継続的な「抗議」を国家権力(警察)が、抑制することは適切か。

 

演者への集団での継続的な「抗議」を受けてもしかたのないといえるような対象(政治家、市民、活動家・・)はあるか?

 

ナチスは、私的な集団を組織して、共産主義者など政敵への暴力的な演説妨害を行っていたことが知られています。現代の日本の警察が政治家の選挙演説への「抗議」を抑制することと、ナチスの活動家が演説を妨害することは、質的に違いますね?日本の警察は、野党の演説を妨害していないですから。 

 

 (終わり。あとは読者の皆様が考えてみてください。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

格差についての疑問と仮説

以下のような記事で、格差が問題にされている。

www.bbc.com

 

この記事をみて思うのは、貧困層36億人が自分たちで、より平等な経済圏を作ればいいではないですか?なぜそうしない・ならないのでしょうか?より議論を簡単にするために、比較的自由に経済活動を行うことができる日本国内に限定して考えてみましょう。

 

上位1%といわれる、例えば、ソフトバンクの孫さんやユニクロの柳井さんは自分でビジネスを起こしてお金持ちですが、かれらが残りの人を貧困にしているわけでもなく、むしろ雇用を創出して豊かにしている部分が大きいと思うのです。

 

ここで思考実験をしてみます。もし、日本の上位1%の人以外の残りの99%の人で経済圏を作って、そこでより平等な経済活動を行えばどうなるのでしょうか?より気前のいい給料をはらうホワイトな会社を作り、保育園を経営し、自然エネルギーを開発し、理想の社会が作れるのではないでしょうか?

 

なぜ、そうならないか?(いや、実は現代は、有史以来もっともましな社会が実現しているんですよ、というのがロスリングの『ファクトフルネス』の言いたいことです。)

 

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

 

 

結局残りの99%の中でも、創意工夫によりビジネスを起こしてお金持ちになるひとが出てきてしまうからではないでしょうか?自由な経済活動が保証されているもとでは、どうしても創意工夫、情熱、体力、コネクションなどに勝る人たちが収入を集めてしまうのではないだろうか。そのような仮説はもっともらしいのではないでしょうか。

 

ここから導かれる結論は、現在でより平等な社会を目指すには、各個人が創意工夫により富を増やして自分が分配するしかない、ということです。自分は創意工夫しない、ほかの人がリスクをとって起業した会社で、少ない給料で安定してはたらきたい、自分は少ない給料から分け与えたり、投資したりしない、そういう人ばかりでは、社会全体としてじり貧になりそうです。

 

なんだか自己責任論的な発想のように見えますが、残り99%の人たちの中でもやはり持てる人、恵まれた人は分配を求められる側となるべき、ということだと思います。

 

 

英語 - Catch me if you can

英語のリスニングの教材として聞いてみた。映画”Catch me if you can”の題材となった人物本人によるスピーチ。まったく淀みなく話す。質問に答えて、「子供のためにできることは、就職する時までに、よいクレジットスコアを作ってあげることだ」、とのこと。これからは、さまざまな活動を行うときに、クレジットが大事だと。

Frank Abagnale: "Catch Me If You Can" | Talks at Google - YouTube

2019年夏休みに読みたかった本

 読み始めたものがほとんどだが、読み終えたものは無い。。。

 

ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」

ザ・フォーミュラ 科学が解き明かした「成功の普遍的法則」

 

 

 

クアトロ・ラガッツィ 上 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

クアトロ・ラガッツィ 上 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)

 

 

 

 

 

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)

ソロモンの指環―動物行動学入門 (ハヤカワ文庫NF)

 

 

 

 

 

交易の世界史 上 (ちくま学芸文庫)

交易の世界史 上 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

交易の世界史 下 (ちくま学芸文庫)

交易の世界史 下 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

波紋と螺旋とフィボナッチ (角川ソフィア文庫)

波紋と螺旋とフィボナッチ (角川ソフィア文庫)

 

 

 

 

年金2000万円不足問題

いくつかの論点についてのメモ

  • 現在の平均的年金受給者が年金以外に貯金を取り崩して使っていること。最低限の生活を年金が支えていて、あとは各人が自分の資産に応じてお金を使っていることを示している平均的な姿を示しているのであって、「年金だけでは不足している」というのは当たらないと思われる。最低限の生活は、広い範囲の人で合意できる基準があるかもしれないが、それ以上に生活を楽しみたい人が資産を活用しているのは、別に悪いことではないとも言える。
  • 年金が世代間の所得移転になっていることにより、年齢構成の変化により不公平が生じる。
  • 年金の運用で損を出しているために、給付が少ないと思う向きがある。
  • 株式による運用が気に入らない人々がいる。
  • 政府が年金の制度としての持続性について述べていることを理解していない向きがある。
  • 審議会の報告書が伝えたいこと(現在の受給者程度の余裕のある生活をしたいなら若いうちからの資産形成が重要)と、年金の適切な水準の議論をどうすべきか、という論点は噛み合っていない。
  • 若いうちから資産形成するなら2000万円はそれほど高いハードルではないのでは?
  • 以上の論点と、麻生大臣の態度が不遜である、報告書を受け取らないのはおかしい、麻生大臣には庶民の気持ちがわからない、といった不満は直接は関係ない。